マンハッタンと言う菓子パンをご存じだろうか?
知っていると言う方、九州人?
女将、九州人なれど、どういう訳かしらなんだ。
先日、法事で帰省した折、いとこ達も集まり思い出話になった。
高校の学食メニューで盛り上がった時、ふいに弟が「マンハッタンのチョコがぽろぽろ落ちるのを、こうして(左手を添えて)食べたんや」と言い出し、周りが「マンハッタンうまかったなあ」「マンハッタンはすぐに売り切れや」「マンハッタン懐かしいわ」と口々に呼応しはじめた。
「なんなんだ?マンハッタン?」
店主は東京人なので、全く知らないのは仕方がないが、女将は弟やいとこや嫁達と同じ高校なので、知らぬはずはない。
しかし、皆知っている。
当たり前に知っている。
こんなつまらない話はないので悔し紛れに「じゃじゃあさあ、シベリア食べた事ある?」と言ってみた。
反応が薄い。
「永久凍土をイメージした、羊羹をカステラにはさんだようなものよ」と得意げに言っては見たが、マンハッタンのような、そこに内包される切なく懐かしい郷愁の念はシベリアにはまるでない。
皆が何かに憧れるような遠い目をして「マンハッタン」という単語を口にする様子はまるで、初恋の人を思うかのようである。
残念無念。
知らんのだ。
話について行けないこの寂しさ。
悔しくて歯噛みしていると、不憫に思ったのか妹夫婦がコンビニで買ってきてくれた。
初めて、手にしたマンハッタン。そのレトロで小さなパッケージは確かに可愛く、みなのこころを虜にしたのもうなづける。
甘さ控えめなチョコレートとややハードなドーナッツ生地が後を引き一個ぺろりと食べられる。
なんというか、まるでイタリアのさびれたスゥィーツ店のガラスケースに並べられてる一体いつ作られたのかわからないチョコレート菓子の趣。
もし、このチョコレートが、今時のカカオが効いたものだったらもっと美味しいだろうけれど、郷愁、愛着、ときめきといった類はなくなる。
だから、このままで良いのだろう。
20年、ずっと変わらぬデザインと味は皆にとって青春を共有できる一つなのだった。
侮るなかれマンハッタン。
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